今もまだ現役の実家

1 ある日の休日両親に連れられて・・・

あれは私が小学1年生の終わりか2年生の始めの頃だったと思います。ある晴れた休日、両親に連れられて電車に乗り、出かけていきました。その頃は東京の23区内にある社宅に住んでいて、後から知った目的地は東京寄りの埼玉県内の地でした。駅からバスに乗り、目的地に着いてさて歩こうという時になると何故か途中で父と別れ、私は母に手を引かれてテクテクと歩いていきました。が、しばらく歩いて着いた場所には既に父がいて草むしりを黙々としていました。

2 微妙な空気の時期

今は分かりますが、どうやらバス停から購入した土地に行くまでの道筋で意見が食い違ったらしく、結局それぞれが思う道筋を辿って3分程の目的地に着いたといわけです。私はそこにこれから父が家を建てるということは知らず、どうしてこんな静かな何もないところに来たのだろうなと思っていました。まだ小さかったので仕方がないですね。その時期は恐らく仕事で超多忙な中、父も母も家の設計などの打ち合わせでピリピリした時期だったのだと思います。何しろ初めての家ですから無理もないでしょう。

3 あれから40年余り経ちました

私が次にその場所に行ったのは引越しの日でした。ピカピカの家と一緒に撮った写真が何枚もあります。

小学校3年生の時にその家から通える学校に転入、一時父の転勤で数年間家を離れた時もありましたがまた戻ってきました。

そして父の定年の時、全てのローンを払い終わったのよと母から聞きました。父からはローン等の話は一切聞いたことがありませんでした。今もその家で両親は隠居生活を楽しんでいます。

刈谷市でリフォームをし、道路側に目隠しの低木を植えて見たり、お風呂の湯沸かしシステムを新しくしたり、最近では階段に手すりを付けたりと時々変化を聞きます。

里帰りの際に安堵できる場所を作ってくれた父と母に感謝です。